三本の矢と正しいチームワーク

先日こんなツイートを見かけて思わずリツイートしてしまった。

長老「ここに一本の矢がある。一本では簡単に折れてしまうな」子供「三本なら折れないって言うんでしょ」長老「太さが異なる三本の矢を同時に曲げると、最も太い矢に応力が集中して破断、連鎖的に二本目、三本目も折れる。能力差のある人間を無理に束ねたプロジェクトの末路じゃ」子供「」 http://twitter.com/#!/o_nyam/status/113264572353359872

非常に面白い解釈だと思った。

束ねる側と束ねられる側という視点

単純に読むと、束ねられる側が束ねる側の無能さを嘆く内容に読み取れる。けれど、現実世界ではそんなにきれいに束ねる側と束ねられる側には分かれない。多くの場合、管理職の大多数は束ねる側であると同時に束ねられる側でもある。一度でもマネージャーやリーダーという肩書きを持った人ならわかると思うけど、束ねる側に誰をどう束ねるかという権限は想像以上になかったりする。

それを踏まえて束ねられる側がどう振る舞うべきかを考えるのがポイントになる。

折れないためにどうするか

束ねられる側にとって、折れないための手段は1つしかない。「たったひとりで、折れない太さの矢になること」だ。他人はあてにできない。幸運にも自分より太い矢がチームにいたとして、その人が折れてしまえば自分も巻き添えになってしまうのだ。スキルや経験が足りないとか、そんなこと言っても仕方がない。

ただ、プロジェクトが失敗する要因はたくさんあるけど、それにいち早く気づいて対処できればプロジェクトは失敗しない。つまり、それに気づける人が一人でもいればプロジェクトは成功する。たったひとり、スーパーマンがいればプロジェクトは成功に導ける。

チームワークとはなにか

「たったひとりでプロジェクトは成功させることができる」とする。もちろん、全ての問題を華麗に解決し、プロジェクトを必ず成功に導けるスーパーマンなんてどこにも存在しない。でも、自分がそれを目指すことはできる。

「俺が」プロジェクトを成功させる。そう決心した瞬間、他のチームメンバーがどうとかは全く気にならなくなる。プロジェクトの成功も失敗も全部自分にかかってくるからだ。チームの誰かが足を引っ張ろうが、そんなのは関係ない。「チームのみんなが」プロジェクトを成功させるんじゃない。「俺が」成功させる。

もしチームの全員が、そういう意識でプロジェクトに望んだら、プロジェクトは失敗するだろうか?

本来のチームワークとはそういうものだ。チームワークという言葉で他人に対する依存心を正当化するものじゃない。

三本の矢の教訓とは

「みんなで協力して」とか、「チームワーク」とか、そういうのは誰かに依存したい心の現れなんじゃないかと最近よく思う。大多数の束ねられる側に求められる資質は、「俺が」プロジェクトを成功させる、というマインドだ。もちろん能力も必要だけども、高いレベルでマインドが統一されていないと、能力的に「太い矢」から折れていってしまう。束ねられる側に求められるのはそういうマインドであり、束ねる側に求められるのはそういうマインドの育成だと思う。